私たちのノーマライゼーション 

― 第 一 回 ―

ノーマライゼーションはここから始まった

〇ノーマライゼーションって何?
みなさん「ノーマライゼーション」という言葉をご存じですか?私たちのように障がいを抱えていても、意外と知らない人がいるのではないでしょうか?また「知っているよ」という人でも、その言葉の本来の意味や理念、歴史、わが国での「ノーマライゼーション」の現状となると、「う~ん、そこまでは・・・」となるのでは?
福祉用語として使われていることが多い「ノーマライゼーション」という言葉。どんな意味や理念に基づく言葉で、わが国ではどのように理解され、現実の社会に生かされているのでしょうか?
これから何回かにわたって障がいを持つ我々が『普通に社会とかかわりあい、自己の未来をどう切り開いていくか』を考えていきたいと思います。まず第1回目は「ノーマライゼーション」そのものについてお話しましょう。
 

 〇「ノーマライゼーション」の意味、理念、歴史
厚生労働省は「障害者雇用促進法」の概要説明のなかで、『ノーマライゼーション』とは「障がい者が他の一般市民と同様に社会の一員として種々の分野の活動に参加することができるようにしていこうとする理念」としています。英語では「正常化」という意味で、「高齢者や障がい者などを施設に隔離したり閉じ込めたりせずに、健常者と一緒に助け合いながら暮らしていくことこそ正常な社会の在り方である」とする考え方になります。つまり「正常な社会」とは、高齢者も障がい者もともに普通に暮らせる社会のことであり、そのような社会を達成しようとすることが「ノーマライゼーション(normalization)」であるという考え方なのです。

バンク=ミケルセン肖像
この考え方はデンマークの行政官・ニルス・エリク・バンク=ミケルセン(N.E.Bank-Mikkelsem)により初めて提唱されました。彼は1919年生まれで、コペンハーゲン大学法学部の学生として学んでいた1940年、ナチスがデンマークに侵入したときにはレジスタンス運動「団結デンマーク」に加わり、地下組織の記者となり新聞を発行していましたが、1944年にはドイツ国境に近い強制収容所に移送されてしまいます。同志の編集長はナチスに銃殺されましたが、バンク=ミケルセンは終戦で解放されました。戦後は社会省に入り、1946年に知的なハンディキャップを負った人のための施設の担当になります。

ご存じのようにナチスはユダヤ系民族だけではなく、障がい者やLGBTの人々にも弾圧や差別を行ったことが知られています。ナチスの強制収容所を実際に体験した彼の心の奥底には、収容所での体験や同志の死、非人道的なナチスの在り方に対する怒りや自由・平等への痛切な思いがあったのかもしれませんね。
当時、デンマークには大型の知的障がい者のための施設が10カ所ほどあり、1カ所に数100人が暮らしていたそうです。当時からデンマークの施設は暴行や虐待もなく、当時の水準では人道的と評価され、海外のお手本にもなっていたそうですが、彼は現状に満足はできませんでした。集団で食事をし、作業をし、集団で寝て、毎日同じ人間が顔を突き合わせ、外に自由に出ることもできない生活。「これでは拘束されていたナチの強制収容所と同じではないか…」
こんな状態に、入所している知的なハンディキャップを持つ子の親たちも疑問を感じていたのです。バンク=ミケルセンは、そんな親たちのために「親の会」を提唱し、1952年に結成されます。これは世界初の知的障がい者の「親の会」になります。バンク=ミケルセンはその時、親たちとも話し合い、この活動の名称をいろいろと考えました。
色々な案のなかで「親たちの願いを一番よくあらわすのがノーマリセーリングだった」と語り、デンマーク語のノーマリセーリングを英語化した「ノーマライゼーション」が世界共通の言葉となっていきます。(バンク=ミケルセン自身は「ノーマリゼーション」と発音し、日本でも知的障がい分野の専門家はこう標記する傾向がある)
 

バンク=ミケルセン肖像
この考え方はデンマークの行政官・ニルス・エリク・バンク=ミケルセン(N.E.Bank-Mikkelsem)により初めて提唱されました。彼は1919年生まれで、コペンハーゲン大学法学部の学生として学んでいた1940年、ナチスがデンマークに侵入したときにはレジスタンス運動「団結デンマーク」に加わり、地下組織の記者となり新聞を発行していましたが、1944年にはドイツ国境に近い強制収容所に移送されてしまいます。同志の編集長はナチスに銃殺されましたが、バンク=ミケルセンは終戦で解放されました。戦後は社会省に入り、1946年に知的なハンディキャップを負った人のための施設の担当になります。

ご存じのようにナチスはユダヤ系民族だけではなく、障がい者やLGBTの人々にも弾圧や差別を行ったことが知られています。ナチスの強制収容所を実際に体験した彼の心の奥底には、収容所での体験や同志の死、非人道的なナチスの在り方に対する怒りや自由・平等への痛切な思いがあったのかもしれませんね。
当時、デンマークには大型の知的障がい者のための施設が10カ所ほどあり、1カ所に数100人が暮らしていたそうです。当時からデンマークの施設は暴行や虐待もなく、当時の水準では人道的と評価され、海外のお手本にもなっていたそうですが、彼は現状に満足はできませんでした。集団で食事をし、作業をし、集団で寝て、毎日同じ人間が顔を突き合わせ、外に自由に出ることもできない生活。「これでは拘束されていたナチの強制収容所と同じではないか…」
こんな状態に、入所している知的なハンディキャップを持つ子の親たちも疑問を感じていたのです。バンク=ミケルセンは、そんな親たちのために「親の会」を提唱し、1952年に結成されます。これは世界初の知的障がい者の「親の会」になります。バンク=ミケルセンはその時、親たちとも話し合い、この活動の名称をいろいろと考えました。
色々な案のなかで「親たちの願いを一番よくあらわすのがノーマリセーリングだった」と語り、デンマーク語のノーマリセーリングを英語化した「ノーマライゼーション」が世界共通の言葉となっていきます。(バンク=ミケルセン自身は「ノーマリゼーション」と発音し、日本でも知的障がい分野の専門家はこう標記する傾向がある)
 


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